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オーディオ、音楽、建築のほかメディア評、書評や日々の雑感など、ジャンルごった煮でお届けしています。
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 昨日の宴席会合は、景気を反映して当方の調子はいまいち冴えず、ただただ愚痴をこぼして慰めを請うという惨めでお粗末なものだった。酒に呑まれることもなく、近隣の駅から深夜徒歩で30分かけて帰宅する冷静さ。うーん、俺もついに大人になったか、などと思った次第。

 前置きはさておき、アルコール覚めやらぬ朝、Webを見ていたら、その宣伝子の会社がF1から撤退するというニュース。各紙の夕刊1面を飾った。彼からその情報は昨日なかったので、当然トップによる経営判断なのだろう。

 会合を思い起こす。印象に残る言葉はいくつかあったが、もはや自動車産業が基幹産業であるということは忘れた方がいいと言う。これは日本のみならず先進各国ともそうである、と。肥大した市場規模や企業体としての大きさ、これを適正に戻す作業が進むだろうと予想していた。何をもって適正かは難しいが、簡単に言えば<その国で食っていけるだけの図体>ということだろう(BIG3はただのスリーになり、ことよってはツーやワンになるかもしれないということだ)。

 それでもその社や日本株式会社と呼ばれる会社が潰れることはないと自信をのぞかせた。その理由とは、例えば日本でもはや自動車が売れないとしても、世界のどこかに新たな市場を探すことはできるというものだった。

 確かに中国やインドばかりでなく、中央アジアや東欧やアフリカにおける自動車普及率はまだまだ低そうだ。金融危機の煽りが少なそうで、石油ほかの資源に恵まれる国が経済発展を遂げる可能性は充分ある。そこを開拓する余地があるから、まだ何とかなると見込んでいた。

 そして今日になってのF1撤退発表。

 分かるような分からないような気でいる。つまり、今後とも既存の産業が安定継続して利潤を上げ続けていけるのか否か、それがよく見えない。

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 メディアの経営が世界金融危機の煽りを受けてノッピキならなくなっているというのは、実はそれ以前から直面していた課題に取り組むことを先延ばしにしていただけのことであって、世界的な景気後退局面こそが原因なのではない、などと先回書いた。

 そうしたら週刊ダイヤモンド誌で、『新聞・テレビ複合不況』といったセンセーショナルなタイトルで特集を組んだ号が発売になった。

 新聞もテレビも総崩れに近いと言える現況が伝わる誌面である。よいネタのチョイスで今号はそこそこ販売部数もよいのではないだろうか。内容は面白おかしくするために、トバシで書いている要素もあるように感じるが、さりとて無視するにはあまりに当事者的でそうもいかないというのが私の率直な感想だ。実に困った事態を迎えている。

 近く某自動車メーカーの宣伝子と個人的な緊急ミーティングを開くことにした。管理職のボーナスを一割カットすると発表した世界を代表する社ではなく、近日タイミング悪く軽自動車をリニューアルしてしまって、そちらもそちらでニッチもサッチもいかないというから、まずは話し合いをするしかない。
 新聞やジャーナリズムが大きな物語であった時代は終わりを告げたと前回記したが、その象徴とも思えるのが朝日新聞が赤字に転落したという報道(9月中間決算)。世界金融危機による影響というよりも、昨今の用紙価格高騰、少子高齢化による部数減、景気減退に伴う広告収入減、この3つが原因とある。

 新聞はかつてメディアの盟主だった。しかしその立場をテレビに明け渡して久しい。ニュースを伝える媒体、広告を発信する媒体としての魅力を失いつつある。人々のメディア受容の形態が徐々に、そして明らかに変わってきたことへの対応が追い着いていない。

 それにしてもあの「天下の朝日」が、である。

 最近忙しく仕事で人に会う中で、「オヤジが朝日だったんですよ」という方が偶然続いた。マスコミとは関係のない職種に就いている人の口から、そういう言葉が出てきて予期していなかったから驚いた。しかも二人も!少なくとも私なんかよりも十や二十も年齢が上で、人生の酸いも甘いも知るだろう、そのお二人の科白の中には若干の憧れや誇らしさが含まれていた。

 だからこその朝日新聞だ。何だかんだと言っても、やっぱり良かれ悪かれ「天下の朝日」だ。その新聞社が赤字に転落したのだから、その他の同業者は言うに及ばず。大変に苦しい台所事情の社ばかりである。テレビ局だってこの上期、フジテレビの最終利益は前年に比べて半減したし、日テレとテレ東は赤字であった(記憶が正しければ局に相違ないはず)。

 新聞凋落の来たるべき日が、来たるべくしてやって来た。

 だが、この傾向は何も急に昨日今日から始まったのではなく、既に徐々に進行していたものだ。それをいかにもここ最近大変な状況になったように報道したりするけれども、凋落の潮流を見逃したり目をつむったりし、さしたる分析や対策を施して来なかった新聞メディア経営層の責任は重い。逆流の河を登るような果敢な舵取りができるようには思えない。

 先日筑紫哲也さんが亡くなって、TBSの追悼番組を見ていたら進行してゆく病状が露わになっていたので目を覆いたくなった。人は肺ガンでこうやって死んでいくのかという暗澹たる気持ちへと至らしめ、いっそのこと煙草を辞めようとも思案したがそう事は上手くいかない。

 いくつかの新聞の亡者記事のなかで、気になったのは日経の田勢客員コラムニストのものだった。筑紫さんは記者時代から既に異彩を放っていたという。とりわけ長い髪をかきあげる姿が様になっていて(随分とカッコ付けだ!)、他の政治記者とは一線を画していた。どんな組織でもインサイドフォースは強いものだが、新聞社のそれは官庁と同様に容赦のないものだ。いわゆる「手前の理屈」が横行する社会だ。新聞社に勤めて日々を過ごす身としては、それは痛感せざるを得ない。

 そういう環境で「ロン毛」をなびかせる筑紫氏へ、田勢氏は「あれが有名な筑紫哲也か」と唸ったらしい。そういう姿かたちに限らず周りに流されないアウトプットを終生保ち続けたことは、心から尊敬したい。主義信条において頑なまでのリベラリストと皆書き並べているけれども、私には右でも左でもどちらでもよい。

 私は「テレビNEWS23の筑紫サン」しかオンタイムで知らないから、テレビにデビューした頃のことはよく分からないし、単純に言って「カッコいいロマンスグレーの朝日のオジサン」くらいにしか思っていなかった(失礼な話だけれど)。何を隠そう細君は「実は中学生の時分からファンだったのよ」と憧れのおじさんの逝去に本気で目を潤ませていた。そういう女性が多数いるほどのニュースアイドルだった。

 たぶんもう、あーゆー「カッコいい」スタージャーナリストが現れることはないだろう。時代の一つの終焉を感じた。「新聞」とか「記者」とか「ジャーナリズム」といったものが大きな物語だった時代はとうとう幕を下ろした。合掌。
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