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いま私は恥ずかしながら涙を流しながらこの文章を書いている。先日、齢を一つ重ねて四十に近づきつつあるからか、涙もろくなっているようだ。
東京消防庁による、待ったなしの状況に陥っている福島原発への放水作業を終えた現場隊長らの会見。あまり稚拙な感情論には陥りたくないが、政府もメディアも今回の原発事故を解決することはできない。これ以上の事態悪化を阻止すること、つまり国民の生命、財産を守れるか否かは、事故現場に携わる消防士、自衛隊員、警察官、東電社員、関係会社職員の努力にほとんど全てかかっている。おそらくこれが現実だろう。
現場が実際どのような状況にあるのか詳細なところは、現場に行ってその目で確認するほか手立てがない。素人考えでは無人のラジコンカーにカメラを設置して周囲を撮影し、事前に見ておけば作業計画を立てやすいのではないか、などと思うが、当然そんなことは出来得る範囲で全て行われているだろう。今回は失敗が許されない国民の負託を背負った任務であるから、ベテランほか最も優れたメンバーでチームが組まれているに違いない。
会見にもあったが、放水車をどこに停めて、ホースをどのように引き回し、実際に水をはき出すかはその場に立たねば判断できない。あらかじめ考えられ得る人員配置や役割分担、そして被ばく量の取り決めなどは行ったろう。
そしていざ現場に立てば、いちいち本部や役人に無線などで確認し、承認を得ながら作業を進めるような時間的猶予はない。被ばく量を最小限に抑えるためであるし、火事や災害では最前線に立つ者は自己の判断を信じて体を動かすように訓練されていよう。
#
現場で命懸けの作業を行うのとは対照的に、福島原発の事故処理で、政府の対応やパブリックアナウンスメントは非常に頼りないものだ。だがこれはある意味で想定の範囲内ともいえる。3月11日以前に我々が置かれていたのは、回復のシナリオがどうにも描けないでいた経済不況下である。どうして経済的なピンチを乗り越えられないものが、深刻きわまる原子力発電所の放射能漏れというこれまでにない大ピンチをうまく解決できようか。地震、津波、原発事故の前に、既に政府は機能不全、思考停止に陥っていたのだ。
危機的な状況下においては、迅速かつ的確な判断をまるでピアノの鍵盤を高速で押し続けるがごとく、次々に打っていかねばならない。しかも滅茶苦茶に打刻すればよい訳ではない。全ての音が万全ではないにせよリズムをもって、きちんとメロディーを奏でなくてはならない。メロディーにならないということは、一音一音が有機的に連なっていないということだし、一音打った後の一音には意味がなければならない。子供でもただ闇雲に急いで鍵盤を押すことはできる。しかしメロディーにはならない。ジャズのアドリブに近いことをせねばならないのに、まったくそれが出来ていない。いまや、ほとんど全ての人が政府の発表を信じていないのではあるまいか。
官房長官の「ただちに健康に影響を及ぼすものではないので安心して下さい」という台詞には、憤りを覚える。「ただちに」でなければいつなのか。国民の生命を蔑ろにするのもいい加減にしろ、と言いたい。
放射線の恐怖は、浴びるだけでなく、風に乗って飛来する大気に含まれる放射性物質を呼吸で吸いこむこと、呼吸や食物を通じて体の内部に取り組んで体内被曝すること、が怖いのだ。CTスキャンに比べて何倍だとか、何分の一だとか欺瞞に満ちたレトリックでごまかす段ではない。
仮に誰かが1ヶ月後に、1年後に、10年後に癌で死んだとしよう。タバコを吸っていたから癌になったのか、癌家系だったからなのか、はたまた福島原発の放射能漏れに拠るものなのか、誰が判別できるだろう。おそらく誰もできない。仮に因果関係を立証できたとしても、それには膨大な歳月と努力が必要なことを、我々は戦後の公害事件で知っている(水俣病訴訟の最後の和解がつい先日なされたことがそれを雄弁に語っている。一体何年経ったというのか)。
また仮に、福島原発から出た放射線、放射能物質が死因になるとして、責任を取るのは東京電力なのか政府なのか。死の酬いを支払うのは誰になるのだろう。東電も政府も責任を十全に引き受けるような気がしない。原子力災害補償制度によって何がどの程度救済されるのか、未知数と言わざるを得ない。
ここでも『自己責任』という世に広まりつつあった奇妙なフレーズが適用されようとしている。
我々は二度死ぬという図式がもう既に出来上がりつつあるのかもしれない。
東京消防庁による、待ったなしの状況に陥っている福島原発への放水作業を終えた現場隊長らの会見。あまり稚拙な感情論には陥りたくないが、政府もメディアも今回の原発事故を解決することはできない。これ以上の事態悪化を阻止すること、つまり国民の生命、財産を守れるか否かは、事故現場に携わる消防士、自衛隊員、警察官、東電社員、関係会社職員の努力にほとんど全てかかっている。おそらくこれが現実だろう。
現場が実際どのような状況にあるのか詳細なところは、現場に行ってその目で確認するほか手立てがない。素人考えでは無人のラジコンカーにカメラを設置して周囲を撮影し、事前に見ておけば作業計画を立てやすいのではないか、などと思うが、当然そんなことは出来得る範囲で全て行われているだろう。今回は失敗が許されない国民の負託を背負った任務であるから、ベテランほか最も優れたメンバーでチームが組まれているに違いない。
会見にもあったが、放水車をどこに停めて、ホースをどのように引き回し、実際に水をはき出すかはその場に立たねば判断できない。あらかじめ考えられ得る人員配置や役割分担、そして被ばく量の取り決めなどは行ったろう。
そしていざ現場に立てば、いちいち本部や役人に無線などで確認し、承認を得ながら作業を進めるような時間的猶予はない。被ばく量を最小限に抑えるためであるし、火事や災害では最前線に立つ者は自己の判断を信じて体を動かすように訓練されていよう。
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現場で命懸けの作業を行うのとは対照的に、福島原発の事故処理で、政府の対応やパブリックアナウンスメントは非常に頼りないものだ。だがこれはある意味で想定の範囲内ともいえる。3月11日以前に我々が置かれていたのは、回復のシナリオがどうにも描けないでいた経済不況下である。どうして経済的なピンチを乗り越えられないものが、深刻きわまる原子力発電所の放射能漏れというこれまでにない大ピンチをうまく解決できようか。地震、津波、原発事故の前に、既に政府は機能不全、思考停止に陥っていたのだ。
危機的な状況下においては、迅速かつ的確な判断をまるでピアノの鍵盤を高速で押し続けるがごとく、次々に打っていかねばならない。しかも滅茶苦茶に打刻すればよい訳ではない。全ての音が万全ではないにせよリズムをもって、きちんとメロディーを奏でなくてはならない。メロディーにならないということは、一音一音が有機的に連なっていないということだし、一音打った後の一音には意味がなければならない。子供でもただ闇雲に急いで鍵盤を押すことはできる。しかしメロディーにはならない。ジャズのアドリブに近いことをせねばならないのに、まったくそれが出来ていない。いまや、ほとんど全ての人が政府の発表を信じていないのではあるまいか。
官房長官の「ただちに健康に影響を及ぼすものではないので安心して下さい」という台詞には、憤りを覚える。「ただちに」でなければいつなのか。国民の生命を蔑ろにするのもいい加減にしろ、と言いたい。
放射線の恐怖は、浴びるだけでなく、風に乗って飛来する大気に含まれる放射性物質を呼吸で吸いこむこと、呼吸や食物を通じて体の内部に取り組んで体内被曝すること、が怖いのだ。CTスキャンに比べて何倍だとか、何分の一だとか欺瞞に満ちたレトリックでごまかす段ではない。
仮に誰かが1ヶ月後に、1年後に、10年後に癌で死んだとしよう。タバコを吸っていたから癌になったのか、癌家系だったからなのか、はたまた福島原発の放射能漏れに拠るものなのか、誰が判別できるだろう。おそらく誰もできない。仮に因果関係を立証できたとしても、それには膨大な歳月と努力が必要なことを、我々は戦後の公害事件で知っている(水俣病訴訟の最後の和解がつい先日なされたことがそれを雄弁に語っている。一体何年経ったというのか)。
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