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オーディオ、音楽のほかメディア評、書評や日々の雑感など、ジャンルごった煮でお届けしています。
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■◆日々雑感
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 早いもので残すところ今年も3カ月となりました。いよいよオーディオの季節到来なのではありますが、当方一年以上前からクルマ道楽にはまってしまい、オーディオはしばし休憩中です。  

 写真はプロのレーシングドライバーによるドライビングレッスンを受講している時の様子でありまして(流し撮りです)、ターンインの際に必死にノーズダイブさせようともがいている図です。愛機ロータスエリーゼはミドシップの後輪駆動(MR)、そして前後のサスはダブルウィッシュボーン、リアのランプは丸目とスポーツカーの伝統的な定型文法にしっかりと則ったクルマですが、挙動をコントロールするのはなかなか難しく、そしてそれが面白みでもあります。クルマの荷重管理に神経を集中させて、トラクションを背に感じながらコーナリングを行うと、驚くほど見事な車体バランスを示します。それは公道よりも、サーキットへ持ち込んで限界ぎりぎりまで攻めることのできるシチュエーションにおいて、より実感できるものです。コーナリングマシン。コーリン・チャップマンが存命だった時代からのロータスのDNAは連綿と受け継がれています。

http://itsunire.blog.shinobi.jp/Entry/264/

 エリーゼはこのCMの通り、余計な“添加物”を極力取り除いてプリミティブで簡素、走行の性能こそを追求した1/1プラモデルといった風情で、我が愛車にはABSもエアバックもなければブレーキはノンサーボ、パワーステアリングもパワーウインドウもありません。電子制御化が進み、いかに環境負荷を減らすか、ということに邁進しつつある自動車。しかしさりとて、2トン級の高級車が跋扈するなかで、エリーゼの車重はわずか800キロ台。そこらの軽自動車並みです。ブリティッシュライトウエイトのコンセプトは時代を先取りしていたのではないかと思えます。

 とにもかくにも、もう二度とエリーゼのようなクルマが現れることはないでしょう。現代においては大変稀少な存在であります。
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 しばらくブログアップが途絶えていました。3か月以上更新しないブログに表示される広告が表示されたので、これはまずいぞということで、久々に書こうと思います。  

 と言っても特に上げる内容がないな、うーん、困ったな。戯言でも書いておこう。
 
 震災、原発事故後の政府の対応について。ほとんど絶望的ですね。「知恵を出さない奴は助けない」と言った低能な大臣。サングラスをしていました。アホにもほどがありますね。恐れ入ります。九州で某利権ビジネスをしていらっしゃるということで、さもありなん、という言動でした。
 
 もう責任がどうしたこうしたという次元を政権は超えました。
 
 我々が自民から民主への政権交代を選択した訳ですが、ようやくこれから二大政党制に慣れていこうという「よちよち歩き」の時代に、震災と原発事故に見舞われてしまったことは悲劇以外の何物でもないと思います。
 いま私は恥ずかしながら涙を流しながらこの文章を書いている。先日、齢を一つ重ねて四十に近づきつつあるからか、涙もろくなっているようだ。  
 
 東京消防庁による、待ったなしの状況に陥っている福島原発への放水作業を終えた現場隊長らの会見。あまり稚拙な感情論には陥りたくないが、政府もメディアも今回の原発事故を解決することはできない。これ以上の事態悪化を阻止すること、つまり国民の生命、財産を守れるか否かは、事故現場に携わる消防士、自衛隊員、警察官、東電社員、関係会社職員の努力にほとんど全てかかっている。おそらくこれが現実だろう。

 現場が実際どのような状況にあるのか詳細なところは、現場に行ってその目で確認するほか手立てがない。素人考えでは無人のラジコンカーにカメラを設置して周囲を撮影し、事前に見ておけば作業計画を立てやすいのではないか、などと思うが、当然そんなことは出来得る範囲で全て行われているだろう。今回は失敗が許されない国民の負託を背負った任務であるから、ベテランほか最も優れたメンバーでチームが組まれているに違いない。  

 会見にもあったが、放水車をどこに停めて、ホースをどのように引き回し、実際に水をはき出すかはその場に立たねば判断できない。あらかじめ考えられ得る人員配置や役割分担、そして被ばく量の取り決めなどは行ったろう。
 
 そしていざ現場に立てば、いちいち本部や役人に無線などで確認し、承認を得ながら作業を進めるような時間的猶予はない。被ばく量を最小限に抑えるためであるし、火事や災害では最前線に立つ者は自己の判断を信じて体を動かすように訓練されていよう。

# 

 現場で命懸けの作業を行うのとは対照的に、福島原発の事故処理で、政府の対応やパブリックアナウンスメントは非常に頼りないものだ。だがこれはある意味で想定の範囲内ともいえる。3月11日以前に我々が置かれていたのは、回復のシナリオがどうにも描けないでいた経済不況下である。どうして経済的なピンチを乗り越えられないものが、深刻きわまる原子力発電所の放射能漏れというこれまでにない大ピンチをうまく解決できようか。地震、津波、原発事故の前に、既に政府は機能不全、思考停止に陥っていたのだ。  

 危機的な状況下においては、迅速かつ的確な判断をまるでピアノの鍵盤を高速で押し続けるがごとく、次々に打っていかねばならない。しかも滅茶苦茶に打刻すればよい訳ではない。全ての音が万全ではないにせよリズムをもって、きちんとメロディーを奏でなくてはならない。メロディーにならないということは、一音一音が有機的に連なっていないということだし、一音打った後の一音には意味がなければならない。子供でもただ闇雲に急いで鍵盤を押すことはできる。しかしメロディーにはならない。ジャズのアドリブに近いことをせねばならないのに、まったくそれが出来ていない。いまや、ほとんど全ての人が政府の発表を信じていないのではあるまいか。  

 官房長官の「ただちに健康に影響を及ぼすものではないので安心して下さい」という台詞には、憤りを覚える。「ただちに」でなければいつなのか。国民の生命を蔑ろにするのもいい加減にしろ、と言いたい。  

 放射線の恐怖は、浴びるだけでなく、風に乗って飛来する大気に含まれる放射性物質を呼吸で吸いこむこと、呼吸や食物を通じて体の内部に取り組んで体内被曝すること、が怖いのだ。CTスキャンに比べて何倍だとか、何分の一だとか欺瞞に満ちたレトリックでごまかす段ではない。  

 仮に誰かが1ヶ月後に、1年後に、10年後に癌で死んだとしよう。タバコを吸っていたから癌になったのか、癌家系だったからなのか、はたまた福島原発の放射能漏れに拠るものなのか、誰が判別できるだろう。おそらく誰もできない。仮に因果関係を立証できたとしても、それには膨大な歳月と努力が必要なことを、我々は戦後の公害事件で知っている(水俣病訴訟の最後の和解がつい先日なされたことがそれを雄弁に語っている。一体何年経ったというのか)。

 また仮に、福島原発から出た放射線、放射能物質が死因になるとして、責任を取るのは東京電力なのか政府なのか。死の酬いを支払うのは誰になるのだろう。東電も政府も責任を十全に引き受けるような気がしない。原子力災害補償制度によって何がどの程度救済されるのか、未知数と言わざるを得ない。  

 ここでも『自己責任』という世に広まりつつあった奇妙なフレーズが適用されようとしている。

 我々は二度死ぬという図式がもう既に出来上がりつつあるのかもしれない。
 我々人類の歴史は、何万年とあるのだろうが、記憶に留められる範囲として紀元前と紀元後とに分けられている。キリストの誕生以前と以後で区分している。それくらいキリストが生まれる前と後では歴史が違うということなのだろう。
 
 今回、東北を中心に関東に至るまでの広範囲を襲った大地震と津波、そして原発事故。かつてこれほどまでの苦難を日本人が味わったことがあるだろうか。戦争に負け焦土と化した後、
GHQの占領統治を経て高度経済成長を果たして見事、復活を遂げた。バブルで饗宴を楽しみ、そのツケとして後の10年を失ったりもした。御巣鷹山の飛行機事故やオウム真理教によるサリン事件など歴史の転換点となるような様々な事件が発生し、人名の犠牲を払いながら、それでも何とか乗り越えてきた。
 
 だがしかし、未曾有の大災害と深刻きわまる原発事故を同時進行で経験するとは一体誰が予想したろう。『国難』と表現する向きもあるが、これはもはや二つの敵との戦い、『戦争』だ。いくら丁寧に高性能爆弾による爆撃を加えても、あんなに効率よく短時間に、街を綺麗に消し去ることはできやしない。猛烈な勢いで援助活動を行っても、失われた命の数はもはや天文学的なものだ。自然の猛威の前に、ただ茫然と立ち竦むほか手立てがないというのか。

 そして余震はいつやってくるか分からない。また放射能は目に見えず、恐怖は高まるばかりだ。さしたる前触れもなく、生命や財産が失われ、脅かされる事態が唐突に用意された。
 
 おそらく我々日本人にとって、今回の艱難辛苦が再び歴史を分かつ。これ以前と以後でまったく違ったものになってしまっただろう。
 
 まだその事実を受け入れる心の準備ができていない。
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