忍者ブログ
オーディオ、音楽、建築のほかメディア評、書評や日々の雑感など、ジャンルごった煮でお届けしています。
[4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11
■◆日々雑感
[2024/03/29] [PR] (No.)
[2008/01/16] 誰が本を殺すのか (No.107)
[2008/01/05] 年末年始のテレビ三昧で感じたこと (No.106)
[2007/08/13] エアコン狂騒曲 (No.67)
[2007/08/09] 暑中のご挨拶 -怒りの自転車- (No.64)
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

200115_2

 草思社と新風舎が民事再生法の適用を申請した。つまり分かりやすく言えば倒産ということか。

 ともに以前、会社の仕事で関わりのあった先なので、特に草思社の方は驚きをもって受け止めた。ここの広告担当者は実によく自社の書籍を読んでいて、どの新聞にどの書籍の広告を出すのが効果的か、ということをかなり良く考えていた。その出稿理由を聞く度に舌を巻いたものである。

 そもそも書籍のタイトルを決める際に、広告マーケティングの上席が会議に入って、編集サイドから挙がる候補に駄目を出し、こちらの題名の方が売れる、という”マーケティング”を意識した出版活動を行っていたので、僕はなおさら驚いた。

 『声に出して読みたい日本語』、『間違いだらけのクルマ選び』。うまいネーミングだ。だから売れたのだろう。とりたてて経営がまずいというような風評も業界になかったように思うが、出版不況の煽りを受けて近日は売上が落ち込んでいたらしい。

 書籍は多品種少量生産となって、なかなかベストセラーは出現せず、こと雑誌の中での数少ない勝ち組は、『CanCam』と一部の専門誌くらいなもので、出版不況はますます深まっているようだ。


200115
PR
 インターネットが登場し、あっという間に浸透したお陰で、新聞も雑誌もテレビも、もはや多くの支持を集める媒体ではなくなりつつある。新聞の後退はここのところ顕著という向きが多い。テレビは広告収入が横ばいペースで推移しているようでもあるので、オールドメディアの中ではまだ何とか王者のポジションを堅持している。

 さて、年末年始に煎餅をかじりながら、虫には逆にお尻をかじられつつ、テレビの視聴を熱心に進めた。テレビは何といっても、映像を以って分かりやすく番組制作をしているので、そんなに頭を使わずとも、内容がすんなり入って来る点が優れている。
 
 年始のNHKで『イチロー』のインタビューを行っていた。いけすかない、クールな選手だ。取材への応対はとてもゾンザイに映ったが、海を渡ってもやはり常に首位打者争いをする男だ。唯一神が自分なのか野球なのかは分からないが、まるで修行僧のような生活を送っている(送っているように見えた)。

 7年間、毎日昼飯はカレーだという。

 体のコンディションをなるべく同じ状態で保つのが目的とはいえ、これは幾らなんでも凄い。私も10年ほど前に、同じく昼飯はカレーのみというのを先輩と冗談で1ヶ月の間実施したことがあるが、最後は拷問のように感じた。昼飯に限ったことではないが、どんなに好きでも7年というのは出来ない。これを見て思い出す場面が、そういえば同じ番組で過去にあった。某飲料メーカーのウイスキーブレンダーがその会社の食堂に行くと、黙っていても“掛けそば”が出て来るというシーンだ。ウイスキーの味を決める責任者である彼も、自分の体調を一定に保つために、舌が狂わないよう、昼飯の種類を長らく固定していた。

 その道のプロ、第一人者ともなると、分野は違えど共通点が出て来るというのは興味深い。

 また、何でもイチローの前シーズンは、異次元の挑戦を行っていたらしい。過去の栄光をかなぐり捨てて、真っ向から自らに降りかかる重圧に対峙したのだ。人間だれしも、今までの自分をあっさりと捨てることなど適わない。だが、イチローはさらなる高みへと登攀すべく、過去の自分にしがみつかなかったという。

 これはつまりマイルス・デイビスではないか。昨年、NHKで菊地成孔氏が講師を務めた『私のこだわり人物伝』は、まさに、過去の作品世界を否定し続け、貪欲に前のめりに歩み続けたミュージシャンとしてマイルスを取り上げていた。

 ウイスキーのマスターブレンダーと同じ生活習慣を持ち、ジャズの帝王と同じ矜持で野球に取り組む男、鈴木一朗。その坊主頭からだけでなく、まるで修行僧のようであった。鬼気迫る表情を何度も垣間見せた。この人の周りに対する態度は横柄であるが、こと自分の仕事、手掛ける世界への妥協なき姿勢は、揺るぐことなく一流であった。

 一流といえば、TBSでミノモンタが司会を務めていた古代ローマ帝国の番組も見た。塩野七生氏も指摘する通り、ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)は類まれなリーダーだったという件で印象的なエピソードが紹介された。昼夜を問わずに行軍し、軍隊の指揮を執り続けたカエサルが、樹に寄りかかって眠ってしまうと、その傍らを通る兵隊は自分の甲冑が音をたてないよう気遣ったというのだ。戦地に赴かずに本国で兵站を分析するとか、たとえ戦地にいてもいつも最後方に控えて泥仕事をしないようなリーダーではなく、率先して行動で示す尊敬すべきリーダーであったのだろう。

 そのミノモンタの番組の前の晩、これもNHKで『私のこだわり人物伝“スペシャル”』というのを放送していた。マイルスも取り上げたのだが、チェ・ゲバラに私はカエサルをダブらせた。奇跡のキューバ革命を実現させた後、工業相となったゲバラは、労働者と一緒になって、それこそ朝から晩まで力仕事に汗を流した。そうしなければ民衆が何を望んでいるのか、社会文化を発展させるために何が問題となるのか、が分からないと思っていたらしい。

 今時、こんな宰相はいない。誰が好き好んでサトウキビを摘むというのか。

 カエサルもゲバラも、理想の道半ばで挫した悲劇のヒーローであるから、後世によって多分に美化されるにしても、リーダーの条件や才覚というものは、古今東西を問わないものだと改めて感心した。いつの時代も指導者に求められることというのはさして変わらぬようだ。

 と、ここまで来るとNHKの番組賛歌のようになってしまって、ちょっと居心地が悪いので、苦言を呈しておく。年末恒例の紅白歌合戦だ。全てを見通したというよりも、忙しく格闘番組とザッピングをしていたのだが、今年のNHKの紅白は、“ただ単にNHKが時代(の芸能)と寝た”としか映らなかった。

 どういうことかといえば、今の時代を真っ向から全て是認したような、たとえ問題があったとしてもお祭り気分なのだから、あえてくどくど説明する必要はありませんよね、と開き直ったような印象を受けたのだ。

 AKB48ほかの少女軍団を登板させることで、おじいちゃんおばあちゃん以外の若者層をアザトク惹きつけようとしたのであろうが、では健気に見えるこの多くの少女達を重用することで、彼女らを性の対象とする輩が爆発的に増大し、のっぴきならない犯罪を引き起こす遠因になっていることをどう説明するのか(もはや彼女らの学芸会の様子をテレビで垂れ流し続ける必要はないのではないか)。ただ単に我らが紅白に視聴(率)が戻りさえすればそれでよい、とはいえないはずだ、仮にも国営放送なのだから。
 
 加えて、中村中が赤組(女性)として、美川憲一は白組(男性)として、槙原ノリユキは当然といえば当然なのかもしれないが白組に入っていた。性同一性症候群とは病気の名前のように聞こえるが、彼らは社会的弱者でまだまだ偏見や差別の対象だ。なぜ忌み嫌ったり避けたりするかといえば、そうでない人からすると“一体何だかよく分からない”からだ。なぜそのような病気(症候群)が発生するのか、日本にはどのくらい推定いるのか(一説には国内でも一千万人を超すとのことだが)、世界ではどうなのか。
 なぜ同性愛者は増えつつあるのか(増えているように見えるのか、マヤにも江戸にも男色は多数いたのであるから)。タブー視されるのは、DNAに刻まれた子孫繁栄の志向を否定される恐怖ばかりでなく、厳然と存在するある嗜好や価値観の人達を、(そこにいるのに)見て見ぬ振りをしたい社会の要請があるからだろう。都合の悪いもの、説明のつきにくいものは、見えていても、見えない振りや何となくやり過ごすのが今の日本の雰囲気だ。

 今回のNHKによる歌手の仕分けは、説明が足りない。“何となくそういうことだ”という社会的雰囲気でしか視聴者を納得させていない。このジェンダーに関わる重要な問題も、特にNHKが番組を通じて教示して欲しいテーマであるにも関わらず。

 という具合で、手法は何でもいいから視聴者を舞い戻そうという形振り構わぬ切羽詰った感じと、“今の時代というのは何となくこういうことですよね”みたいな慇懃な慣れなれしさを感じさせた今年のNHK紅白だった。

190812


 やむなくエアコンを購入した。

 あまりに暑いので、導入せざるを得なくなった。窓を全開にして、吹き込んで来る風を頼りにしたり、扇風機を回していたが、さすがに我慢ができなくなった。ちょっとした不便は楽しいなどと強がってはみたものの、土日は昼間まで寝ているとなると、起きたと同時にグロッキー状態である。直射日光が当たらないというだけで、部屋の中は外の気温とほとんど同じだ。こういうのは文化的な生活とは言えないのではないか、と思い始めた。後から振り返って、「あー、あの夏はエアコンもなくて大変だったなあ」などと思い出を自分で演出することもままならなくなった。

 ヨドバシカメラ吉祥寺店へと向かった。

 ご承知の通り、同社は店舗展開で攻勢をかけている。秋葉原に続いて吉祥寺である。用地確保で相当な資金を投じていると思われる。

 さて、生活家電コーナーだ。製品は何畳という設置する部屋の大きさ毎に、展示してある。松下の『お掃除ロボ』やシャープの『除菌イオン』の二社だけは、メーカーに力があるからだろう、固めて陳列している。

 二台買う予定で、一台は東芝製にすることを決めていた。家を建てる際に、町の電気屋さんが見積もりに来て、三階の寝室は天井(屋根)が北側斜線で勾配しており、コンパクトなものしか取り付けられないと教えてくれた。小さいものとなると、どうやら東芝らしい。前に住んでいた家から持ってきたエアコンはサイズがあわず、仕方なくリサイクル行きとなった。

 それにしても、各エアコン製品のマーケティングは一体どうなっているのだろう。東芝はコンパクトである、などというのは結果的にただそうであったというだけで、しっかりとした市場分析を経て、「日本の住居はまだまだ狭い。設置するのもてこずるケースが多いとサービスマンから多く報告が上がっている。だから、我々は“コンパクト”を他社との差別化に掲げよう」とはしていないのではないか。要はどの品も似たり寄ったり、別にどれを選んでもいいや、という気分になる。判断材料として残るのは、ずばり“価格”だけである。ヨドバシカメラが、本体価格プラス工事設置代金を合算して“ナント○○円”と表示する札ばかりに目が奪われ出す。

 オーディオだったら、いくら何でもここまで乱暴なことはない。もちろん価格帯を予め決めて、ターゲットとなるプロダクトをいくつかピックアップするにしても、例えば20万だったらどの社のものでも構わないとか、まあどれでも一緒だろうとはいかない。吟味に吟味を重ねる。

 エアコンとオーディオ、特にピュアオーディオは別の次元、マーケットであると言えばそれまでだが、然は然りながら同じ工業製品である。ましてやエアコンの方が明らかにその市場規模は大きい。その割には各社の差はほとんどなくて、皆一様な商品ばかりとなると、大袈裟だけれど日本の物作りはどこか曲がり角に行き着いてしまっていて、もはや主導権は流通に明け渡しているのではないかと改めて感じた。

190812_2

 オーディオよりも市場として厳しく難しいことがあるとすれば、各家庭にエアコンを設置するにあたって、それぞれ家の構造はばらばらだから、かなりシビアにこちらが採寸などをして行っても、取り付けができないとか、問題が発生する。まさか貸し出して”試風”なんてこともできない。だから各量販店は事前見積もりというのを実施している。エアコンのダクトが4本か5本かなんてことを事前に調べてから店へは行かない。しかし、5本ないと今流行の“手間なし自動お掃除機能”を搭載したエアコンは、基本的には導入できない。さらにダクトが家の壁に中に埋め込まれた“埋設式”となれば、もしダクトが1本足らなくても手を施すことはできないで、導入不可である。

 細かな家庭事情を反映させた上で、エアコンは買われるべきプロダクトなのである。僕はそこまで面倒なモノだとは思わなかった。一旦、家へと戻ってダクトの本数を見たり、コンセントの形状を調べたり、改めて寸法を測り直したりして、なかなか手強い相手であることを知った。

 我々はヨドバシのお兄ちゃんに対して、手を変え品を変え、様々なアプローチをして、表示価格(というか最初に電卓を弾いた数字)から、随分と値段を下げてもらった。二台まとめて買うのだからとかなんとか言いながら、向こうは根負けしたようだった。

 でも話し次第で金額が下がるのだから、交渉はした方が良いに決まっている。


190808

 今日は休みだったので昼過ぎに起床した。『ワルツ・フォー・デビー』とか『お城のエヴァンズ』なんかをCDでしばし聴いて、夏の暑さをやり過ごしていたら、腹が減って来たので自転車で外に出掛けた。

 家人のチョコレート色のルイガノを借りた。泥除けにスタンド、そして籠まで付いている。クロスバイクやオンロードバイクのように余計な装備は要らないという訳にはいかないのでママチャリ仕様の自転車としたのだ。善福寺公園や吉祥寺へ散歩がてら向かうのに使ったり、普段、スーパーへ買い物に行くのに乗ったりする。ご丁寧に名前まで付けた。ナミコ。漢字にすると『並子』である。杉並区からインスパアを受けて命名した。

190808_2

 『並子』に操られて、荻窪の駅前まで来た。彼女はいい女だ。乗るのに肩に力を入れる必要もなく、ツッカケを履いてカジュアルに乗ることができる。教会通りにある『フェリスフー』という店で夏野菜の入ったカレーでも食べようと思ったが、開店していなかった。行く宛てもなく、何となく『並子』を漕ぎ始めると、すぐに杉並公会堂の前へと到る。そういえば、完成してから中に入ったことことがなかったなあ、と思って彼女を敷地の端の街路樹に括りつけた。

190808_5

 さすがに竣工してから一年足らずだけあって、外観だけでなく内部もとても綺麗だ。大ホールへと上がる階段にはテープが張られて行く手を阻まれている。仕方なしに、地下の小ホールに向かう。クラシックの音色が聴こえて来る。手にしたパンフを見ると『女性作曲家音楽祭2007』と銘打って、平日の昼間に低料金でコンサートを行っているという。ちなみに今日の演奏会は二千円だった。よっぽど鑑賞していこうかと思ったのだが、飯をまだ食べていなかったことを思い出して、外へ出た。『並子』の縛られた縄を解いてやっている時に、警備員がやって来た。

「ここは駐輪禁止です。自転車置き場に停めて下さい」

 機械的な物言いだった。
 
「あー、そうでしたか。初めて来たので分からなかったのですが、どこかに書いてあるんですか」

 そういって僕はあたりを見回した。この杉並公会堂の敷地へチャリリンと進入する際に、そんな案内掲示は見当たらなかった。

「あそこに書いてあります。ここにも」

 メカニカルな警備員さんが指し示したのは、ひどく遠慮がちな小さな立て看板と公会堂の平面図を記したガラス板だった。

「いや、ちょっと待って下さいよ。目立たない看板と1メートルの先からも判読できない地図でもって、駐輪禁止とは認識できないし、自転車置き場も何処だか分からない」

 いや、確かにあの看板に書いてあるから、自転車を置いてもらっては困る。いや、あれでは老若男女、誰もが分かるなんてことはない。下らない応酬をしていると、品のいいおばちゃんが『並子』の後ろに、自転車をささっと停めた。

「ここは駐輪禁止です。自転車置き場に停めて下さい」

 鸚鵡返しだった。

「コンサートのチケットを一枚買って、すぐに戻るけど」

「いえ、ここは駐輪禁止です。自転車置き場に停めて下さい」

「はいはい、分かったわよ」

 言うが早いか、動かすが早いか、瞬間的にこの場所の自転車駐輪に例外は存在しないことを悟った様子だった。頭のいいおばさんだ。だが、最後の科白には、別に悪いことをしている訳でなし、なぜそんな言い方をされなければならないのだ、という軽い怒りのニュアンスが含まれていた。

 僕はやむなく、館長さんにご挨拶することにした。警備員さんと議論をして、職責以上のことを具申したって、それは彼にも答えようがないからだ。

 僕は名前を名乗った。意見をする時に名無しの権兵衛では、卑怯に違いないと思うからだ。

「自転車を停めさせたくないというのは、不法駐輪を防ぐためと理解するが、ここは杉並公会堂という名前からして公共の施設なのだから、誰しもが分かるように “ここは駐輪禁止で、建物裏手の地下に駐輪場がある”と知らせるべきではないでしょうか。もう少し工夫した表示、案内誘導をはかるべきだと思いますよ」

190808_4

 こういうことをすると、つまり正論にせよ、イチャモンにしても、物言う株主みたいに感じるのだろうが、家人はことのほか嫌がる。時には逆に猛然と怒られたりする(今日は帯同しておりませんでした、ふぅー)

 そしていつも同じことを思う。別に事を荒立てようとか、自分を誇示してやろうというよりも、その言い方はないだろうとか、そりゃナンボ何でもあまりに強引でしょうということに、目一杯腹が立つだけなのだ。そして、それを言わざるを得ない。随分と損をする不器用な生き方だと思うこともある。

 しかしながら、まあ誤解されることも恐れずに言えば、公空間におけるサービス提供側のコミュニケーションスキルの低下はそこかしこで見受けられる。質が下がっているなと感じる場面は、何も上述に留まらない。民間に委託しその質を維持しようとする取り組みはあって、一定の評価に値すると思うのだが、「機械的な物言い」の背後には「とにかく言われたことだけやっておけばいい」という時代精神と、「サービスを受ける側の理屈や感情など、どうでもよい。とにかくこちらの理屈に従ってさえいればいいのだ」という銀行などにもみられる傲慢さが見え隠れする。

 世知辛い世の中ではある。


190808_3

 一昨日飲んでいる時に、ランボーの詩集はわけが分からなくて結構面白いと言ったら、“あー、シルベスター・スタローンね”と冗談で返された。確かに「ランボー」とWebで調べると、『怒りのアフガン』ばかりだ。「ランボー」といえば、早熟の天才ホモ詩人というよりも先ずはスタローンとなると、仏文を出た人や彼の詩を読んで青春を過ごした往年の方には、まったく何だかなあ、という気分になるのではないでしょうか。どうでもいいことなのですが。


プロフィール
HN:
なし
性別:
男性
自己紹介:

powerd by


最新コメント
[08/15 yrndmifoaj]
[08/15 ekckyuobwa]
[08/14 clqoizbepn]
[07/19 azart47]
最新記事
最新トラックバック
ブログ内検索
アクセス解析
カウンター


お天気情報
フリーエリア
建築家の設計による狭小住宅からブログ発信中。
地下の書斎でオーディオを
愉しみ、音楽はなかでも特にJAZZ(ジャズ)を聴きます。

《お知らせ》直近の雑誌寄稿
→左記、カテゴリー《メディアへの寄稿》からご覧下さい
-------------------------------
///聴かずに死ねない!JAZZライブ盤。現代JAZZの、ある到達地点に違いないです///

The Winners/Live at the Dolder Grand Hotel, Zurich
●詳細はこちらから(amazon)
The Winners/Live at the Dolder Grand Hotel, Zurich/TCB/2001

-------------------------------


M's Bar/男の書斎・別室

M's Bar/男の書斎には、クルマやテニスなどの話題が中心のもう一つの別室ブログを設けています。
バーコード
Copyright © デザスタK【オトナの教養ラジオ】 All Rights Reserved.
Powered by Ninjya Blog / ブログテンプレート by naminorito
忍者ブログ [PR]
[PR]Samurai Sounds